周辺史跡案内

岩屋観音(聖観音立像) 

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 明和2年(1765)、吉田橋架替工事成就の報賽として、江戸下谷講中により岩屋山上に寄進・建立されたもので、多くの道中記や絵画の題材にも取り上げられ、東海道を行く旅人の風物詩として親しまれました。しかし、この像は戦時中供出され、現在のものは昭和25年(1950)に再建されました。

岩屋観音堂

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 天平2年(730)行基によって開かれたと伝えられ、江戸時代には街道を行き交う旅人から多くの信仰を集めました。特に、備前岡山藩主池田綱政は信仰が厚く、黄金灯籠・絵馬(ともに市指定文化財)・手水鉢等を寄進しています。

大岩神明宮

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 文武天皇2年(698)岩屋山南麓に建てられたのが最初といわれ、江戸時代には幕府から黒印2石を与えられました。境内には、寛延4年(1751)の灯籠、文化4年(1807)の秋葉山常夜灯、文政6年(1823)の手水鉢があります。

大岩寺

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 もとは岩屋山麓にあって、岩屋観音に奉仕した6坊の1つと伝えられ、元和8年(1622)遠州浜名郡宿芦寺の通山和尚により再興され曹洞宗に改宗し、のち正保元年(1644)現在地に移転しました。岩屋観音堂に寄進された文化財は、現在当寺が所蔵しています。

松音寺

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 康永~貞和年間(1342~50)の創建と伝えられ、明暦年間(1655~58)に遠州白須賀の蔵法寺香外養薫和尚により再興されました。江戸時代、大通行の際の休泊所や、本陣からの避難所に指定されていました。

二川八幡神社

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 永仁3年(1295)鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮から勧請したと伝えられる二川宿の氏神で、境内には宿内の人々の寄進による灯籠が今も残り、かつて宿内新橋町の街道枡形南にあった文化6年(1809)建立の秋葉山常夜灯が移設されています。

妙泉寺

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 貞和年間(1345~50)に日台上人が建てた小庵だったが、寛永~明暦(1624~58)頃観心院の日意上人が信徒の助力を得て再興し、さらに万治3年(1660)現在地に移転して山号を延龍山と改めたといわれています。境内の春乙桜がみごと。

芭蕉句碑紫陽花塚

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 妙泉寺境内に、寛政10年(1798)に建立され、明治12年(1879)に隣の十王院から移設された芭蕉句碑「紫陽花塚」があります。
 あちさゐや藪を小庭の別坐敷
 台座には、建立世話人9名が刻まれており、当時の二川宿における俳句の隆盛がしのばれます。

十王院

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 江戸初期に二川宿の本陣・問屋を勤めた後藤家の私庵として開かれたといわれ、後に宿の惣庵となり、寺子屋も開かれました。境内に寛永9年(1632)建立の「二川新町開山碑」と呼ばれる石碑があり、二川村が本郷の地より元屋敷への移転を記念したものといわれています。

一里山の一里塚

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 豊橋市域には4か所の一里塚があったといわれますが、現存しているものは東細谷町所在の一里塚(街道北側)のみで、市指定史跡になっています。江戸時代には、「化物塚」などと呼ばれ、寂しい場所だったようです。

普門寺

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 神亀4年(727)行基が開いたといわれ、源頼朝の厚い保護を受け三河七御堂随一として繁栄しました。戦国時代に衰退しましたが今川義元が再興し、江戸時代には徳川氏の保護を受け、格式の高い寺院として多くの信仰を集めました。木造阿弥陀如来座像他の国重要文化財や県指定文化財、市指定天然記念物の大杉など多くの文化財を所蔵しています。

東観音寺

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 天平5年(733)行基が開いたと伝えられ、鎌倉から室町にかけて大いに栄えました。江戸時代には、小松原村1村102石が寺領となり、三河三十三観音霊場の一番札所となりました。境内には大永8年(1528)寄進の多宝塔(国重文)があり、その他木造阿弥陀如来座像等の国重要文化財、古境内図等の市指定文化財等多くの文化財を所蔵しています。