商家「駒屋」田村家の歴史

田村家の歴史

 田村家は、元禄4年(1691年)に遠江国敷知郡中之郷村(現在の静岡県湖西市)から二川宿へ移り、初め医師を、後に米穀商・質屋を営みました。明和7年(1770年)以降に、松音寺門前の瀬古町から新橋町の枡形北側の現在地に移転しました。屋号は駒屋で、当主は善蔵(ぜんぞう)を世襲名としました。代々二川宿内随一の有力者として、宿役人や村役人を勤めました。また、安政2年(1855年)には、幕府への献金によって苗字を名乗ることが許されました。

 9代当主の善蔵苗政(みつまさ)(1830年~1891年)は、幹皋(かんこう)と号し、家業や公務の傍ら、書、遠州流生け花、崋椿系南画、売茶流煎茶、俳諧など、多くの教養を身に付けた文化人としても活躍しました。

 近代に入ると、10代当主の善蔵(邦三郎 1861年~1921年)は、二川郵便局長や渥美郡会議員などの公職にも就くとともに、諸種の会社要職を歴任しました。11代当主の憲造(1889年~1953年)は、薬学の道に進んで東京帝国大学教授・医学博士となり、心臓注射液ビタカンファーを創製しました。

田村家略系図

kakeizu