二川宿本陣

 本陣は宿場の有力者で大きな家屋敷を持つものが指定されました。しかし、長い年月是を維持することは困難で、本陣職を他に譲る場合も少なくありませんでした。
 二川宿本陣は、文化4年(1807)から明治3年(1870)まで本陣職を勤めた馬場家の遺構で、昭和60年(1985)に馬場家より本陣の土地建物の寄贈を寄贈を受けたことを契機に、昭和63年より3ヵ年をかけて改修工事を行い、本陣建物が最も整備されてた江戸時代末期の姿を再現しました。明治時代以降、馬場家では酒造業や味噌・醤油の醸造業を営んでおり、寄贈を受けた際には建物は大きく改造され、さらに大名・公家などが宿泊した上段の間のある書院棟は取り壊されていましたが、残された間取り図や木材の痕跡調査などにより主屋・玄関棟・土蔵などは改修復元し、書院棟も新築により復元いたしました。

表門 

 表門は、大名などが出入りする門で、一般の旅籠屋では作ることが許されませんでした。大名などの宿泊の際には大名の定紋入りの幔幕を張り、高張提灯を掲げました。また表門脇には番所が設けられ、大名が宿泊する際には不寝番が置かれました。
 袖塀の付いた薬医門形式で、本陣を引き継いだ文化4年(1807)に建設されましたが、嘉永2年(1849)の主屋改造に続いて建て替えられ、翌3年12月に完成しました。

大正時代の表門

主屋

板の間

 本陣を引き継ぐ以前の馬場家の主屋は、宝暦3年(1753)の大火後再建されたもので、文化4年本陣職を引き継ぐにあたり板の間・番所等を増設し、本陣としての体裁を整えました。主屋は、家族や使用人の居住部分と、利用者が使用する休泊部分に分かれていました。板の間には蔀戸(しどみど)が備えられ、街道から直接荷物を運び込むことができました。

勝手座敷

 通り庭から西側は、勝手と呼ばれる本陣家族や使用人の居住する部分で、なかでも座敷はその中心をなす部屋でした。また、通り庭を通って本陣背後にある土蔵に馬や荷物を運び込むこともできました。

書院棟

 書院棟は、玄関棟の南に接続して建ち、大名等が休泊する上段の間のある建物で本陣職引継ぎの際建設されました。上段の間と3部屋の次部屋、それを囲む入側等によって構成されていましたが、明治維新後工場建設のため取り壊されました。今回、馬場家に残る間取図や、柱穴の痕跡、現存する本陣等を参考に当時の姿に復原されました。

上段の間

 上段の間は、大名等の貴人が休泊する部屋で、本陣の中で最も重要な部分でした。他の部屋より一段高くなっており、大床・付書院・御簾が付けられていました。
 この部屋は周囲からご見学ください。

東西土蔵・鍬蔵

 土蔵は、主屋の南側に東西2棟が残っています。うち、東土蔵は、改修復原工事によって享保3年(1718)の棟札が発見され、遺構の中で一番古い建物であることが判明しました。
 東土蔵には関連資料を展示しています。